October 16, 2010
こっつぁん、今日もお外でニコニコです。
歩けるようになってからか、外がかなり好きになってきた様で、毎日のように「クックー、クックー」と言って外に出たがります。こりゃぁ、ママは大変だ、汗。
そういえば、最近は父親の子育てへの参加が当たり前になってきましたよね。
そうしている人を見ると凄いと思うし、偉いなぁ、と思っているのですが、こと私自身のことで考えると、父親と母親の役割はある程度は明確にしておいた方が良いかなと感じています。
ジェンダーフリーという考え方もあるのですが、そもそも人間が誕生・生育を繰り返してきた中で、男女の性別的なそれぞれの役割は確立されているし、普遍的なものが多くあります。例えば、はっきりしたところでは出産は男性にはできません。なぜ男性が出産できないかということを考える力も知識も私にはないのですが「歴史がそうしてきた」ということは理解しています。
それなりの理由があると思うんです。それらを体や感覚で自分の中に「自然」として受け入れ、その流れの中で育児を進めるのは決して悪い事ではないと私は考えています。
「父親と母親の境界線があまりにも不明慮になるということは、自然の節理に反するのではないか?」
「この子に何か生理的な影響がでないとしても、それを何回も何百年も繰り返している事で、(大げさな言い方をすれば)人間の生態系が少しずつ崩れていくのではないか?」
こんな風に感じてしまうんです。
ということで、私自身は母親の役割はなるべく母親に任せています。特に赤ちゃんが母親を求めている時(おっぱいが欲しくて泣いているときなど)には、母親の手があかないからと言って、無理に私が赤ちゃんの相手をせずに母親に任せるようにしています。私が赤ちゃんの相手をするのではなく、私が母親を助けて、母親と赤ちゃんが接する機会を作ってあげるのが父親の役割かなと思うんです。
琴音には、そういうところに男性的な優しさと女性的な優しさや魅力を感じて、すくすくと育って、将来は素敵な旦那さんと結婚して欲しいなぁと思います。